17歳の夏だった。「男の美容師ってカッコいいよねぇ~!」高校当時に付き合っていた彼女にこう言われた私。
そのひと言でこの仕事を選びました。(笑)「よし!だったら美容学校に行くぞ~!」と気合を入れ受験するもまさかの不合格。
そりゃ~そうです!
試験をナメまくっていた私は試験当日に遅刻はするは態度は悪いは、タバコを吸って見つかるは、もうやりたい放題。
「だったら見習いからやってやる!」と、何故かそこで変なスイッチが入るもこれまたやらかしてしまった。
1件目の美容室は一週間で逃げ、2件目の美容室も三カ月…。
そうです…結局の所、長続きしないダメ野郎だったのです。
そのころには既に「男の美容師ってカッコいいよねぇ~!」と言っていた彼女からはフラれ
もうこの仕事につく理由も無くなった私。
しかし半年後、もう一度美容に挑戦してみたい!「三度目の正直」になるか「二度あることは三度ある」になるか…。
やっと「美容の神」が舞い降りて来た瞬間だった。19歳の春だった。
地元を離れ軽自動車に段ボール箱二つ詰込み、店の二階で住み込みを始めた…
「もう何が何でも後戻りは出来ない…」そう思いながら毎晩毎晩仕事がキツくて泣きながら朝を迎えてた。
シャンプーの練習では腕が象の皮膚の様になり水分と言う水分が全て失われた。
その後ロッドを巻く練習をすると手のあちこちから血しぶきが出て食事の時に箸を持てない程になった。
練習に休みなんかなかった…「上手く出来ない自分が悪いんだ…」そういつも思って練習した。
二度逃げ出している以上何が何でも仕事を覚えなければならなかったし、これ以上逃げる場所もなかった。
しかし、そんな中にもたったひとつだけ楽しみがあった!
それは当時お客さんとして来ていた女の子との付き合いだった。
毎日毎日練習が終わったら日付が変わっていた。でも彼女は嫌な顔ひとつせず逢いに来てくれた。
たまには食事にも行ったが何せ下っ端の自分にそんな金銭的余裕などなかったのだ…。
なのに彼女はいつもニコニコしてくれてた。
その彼女とは今も私の隣で「大の字」になりイビキをかいている妻である事は言うまでもない…。
帯広に舞い戻って来た私は丁稚時代から笑顔で支えてくれた彼女と22歳で結婚した。
お金もなく「おままごと」をしてる様な生活を想像しながらの新婚生活になる…予定だった…が、
しかしここでまさかの…それ以前の出来事に遭遇したのだった。
それは!「住む家がない!」と言う最も初歩的な問題だった。
当時私は22歳…美容師の方ならもうおわかりだろうが当時の収入なんて超~知れてるレベル。
今思えば当時そんな貧乏な私でしたが「あふれ出る若さ」と「有り余る勢い」だけはあったのです!
「よし!!だったらお金もない事だし町はずれの古い公営住宅を申し込もう~」と勢いよく申し込みに行くと…
担当の人が…「公営住宅にも収入の限度がありまして…」と。
「えっ?だから…収入が少ないから申し込みに来たんですけど!」と私。
「大変申し上げにくいのですが…限度には上限と下限がありまして…つまり下限にも該当していないのです…」
「…つまり…どう言う事??」
「簡単に申しまして収入が無さ過ぎて借りれません…」と言われ、おめおめとうなだれながら帰ろうとした時…
「あのぉぉ…余計なお世話ですが…よくこの収入で結婚する気になりましたね?」と。本当に余計な、一言を言われた私。
しかしそこで私は初めて「うすうすは感じていたけど自分ってそんなに収入、低いんだ…」と。
そう言えばある人から言われた一言を思い出したのです。それは「この収入じゃアルバイトより少ないね…」と。
「だったら民間のアパート探すわっっ!!」と、結局普通のアパートからの新婚生活のスタートとなった。
二年後娘を授かり、翌年には息子を授かった私たち。しかしまたも気付いてしまった私。
「やべ~~この収入じゃ生活していけないかも!!」と。
「だったら一か八か独立してみっか~~!!」となるのだったが…そこでまたも気が付いてしまった…。
独立するにも資金、つまりお金がなかったのだ。どの位なかったかと言うと、「貯金通帳に一万円すらもなかった…」のだった。
それに気付いた25歳の秋だった…。
実家を担保に入れ、義兄に保証人になってもらいマンションの一階の奥まったたった8坪からのスタートだった。
26歳の夏だった。
その月はフルに一日も休まず働いた。
その結果「えっ?こんなに売り上げあるの~~!こりゃ余裕だわぁ~~!」となり
バカな私はこれがずっ~~っと続くと思い散財した。
翌月…世の中はそんなに甘くない…と言う現実を知った(笑)
半年が経ち自分を律する事を覚えた私は真面目に仕事に向かっていた。
そんな時、ひとりの美容の材料を卸してくれる人がやって来て私にこう言ったのだった…
「こちらの美容室でお使いのパーマ液に入ってるアルカリ剤は何ですか?」と…。
もちろん美容室である以上パーマはやっている…
しかしその中のアルカリ剤が何なのかなんて私は全く知らなかったし考えた事もなかった。
私はその質問には全く答えられなかった…するとその人はこう言った。
「そんな事も知らないでお客さんにパーマかけてるんですか~~?」と。
私は更に言葉が出ず悔しいやら恥ずかしいやら、脳天杭打ちを喰らった気分になった。
しかしそこから闘志に火がついた自分がいた!
「絶対!こいつを見返してやりたい!」と心に誓い毛髪化学の専門書を取り寄せ、朝も晩も何度も何度も読み返し、
どうしても理解出来ない所はそのままにはせずに出版元まで電話をかけ理解出来るまで食い下がりました。
時にはファックスでのやり取りや、内部資料まで買い漁り貪欲に学びました。
それが終わると皮膚科学や薬学と徹底的に学びました。
そのころにはもうどんな薬を持って来ようがどんな質問にでも楽勝で答えられるぐらいにまでなっていた自分がいました。
元々欲張りな私はそんな知識を何とかしてもっとお客様に還元し、
喜んでもらう方法を考え出し一定の理論に基づいたパーマ剤を作り上げる事に成功したのだった。
27歳の冬だった…。
私の勉強はドンドン加速していった。理論と実践を毎日繰り返していた。
気が付くと髪を傷めずパーマをかける事が得意になり、くせ毛を伸ばすパーマにおいてはたくさんのお客さん達に、
「ここの店より伸びる所はないわぁ~!」と嬉しい声を貰える様にまでなった。30歳の秋だった。
日々新しい薬剤が発売される中、様々な美容材料屋さん達がこれ見よがしに
「新しいトリートメントが出ました~!」とか「○○成分が入った新設計のパーマ剤が発売されました!」と、持って来る。
無知だった頃の自分はいつもその言葉に振り回されていたが今は違う。
いくらセールスに来ても全く動じなくなった自分がいたのだった!
だって知識さえ、基本さえ、しっかり理解してたらそんな口車に乗らなくても済むし振り回される必要もない!
むしろ「あそこの店には変な物持っていくと逆にやられるから…」と言われたりもした。
そんなある日、私はトリートメントでもっと!もっと!!効果の出る持続性があるトリートメントは無いのか?
「バカちょんトリートメント」なんかじゃなくもっと劇的に違いが出て長持ちし、
理論的にもきちんと筋の通っているトリートメントはないか?…と探しに探した。
結果は「なかった」。
だったら…今まで勉強してきた全てを費やし、更に学び自分で開発するしかない!
そう思い様々な角度から理論と実践を繰り返した。
「よし!これならお客さんの前で最高のパフォーマンスが出来るレベルだ!」その時点で開発から二年が経っていた。
その話をお客さんたちに話すとみんな「やってみたぁ~い!!けど…いくら?」
そう!まだ値段を考えていなかったのだった。
費やした年月、費やした労力、費やした資金、全てを加味した私の答えは「1万円」だった。
万人向けでない事ぐらいわかっている。
安くして多くの人に試してもらった方が良いのでは?と言われた事も何度もあった。
しかし、これは私の美容人生を賭けた勝負だった。みんなにやってもらう事なんて考えてなんかいない。
私の説明に興味を持ち「値段だけではない価値」を感じてくれる人がやってくれればいい…
しかし!想像以上の反応に今までの労力が報われた気がした。
そしてそこで立ち止まる事を知らない私は「もっと!もっと!」を目指し、
髪花堂でしか絶対出来ないトリートメントを作りどんどん発表して行きたいのです。
「こだわりのない店なんてこの世に存在しない」と思います。例えそれがラーメン屋でも居酒屋でも洋服屋でも靴屋でも…。
私はそのこだわりが、どんな所に?どう言うふうにこだわっているか?それを何故、周りは真似する事が出来ないのか?
…そしてそれは誰の役に立てるのか…そんな差異をこれからも追い続けるつもりです。気が付くと50歳を超えていた。
倒れるのなら「前のめり」に倒れたいと思う。そう思ったら53歳になっていた。
徹底的にバカ野郎になってみたいと思う。
「ウィッグ」とは簡単に言うと「かつら」。
私は最初「まさか自分がウィッグを扱うだなんて全く考えてはいなかったし、全く興味などなかった。
ある時偶然に一台のウィッグが店内にあった。
それをたまたま見たお客様が「ねぇ?ちょっとそこのウィッグ!付けてみてよ!」と…。
今だから話せるが当時私はそのウィッグを付けるもどっちが前で、どっちが後ろだかすらもわからなかったのだった…。
そして恐る恐る付けてみると、「あれっっ?何だか凄く馴染むんだけど…」
そうだったのです!私が頭の中で描いてたウィッグとは全く違っていたのです!
私は「いかにもつけてマス!!」的な感じをイメージしていた為、どうしてもウィッグには否定的だったのですが、
実際は見事に馴染み時代と共にウィッグは劇的進化を遂げていたのでした。
「これは!!面白いかも!」それをキッカケに私は段々ウィッグに魅せられていったのでした。
カタログから「これはどうか?」「あれはどうか?」と次々にお客様方に案内をして行ったのです。
そんな時「ねぇ??医療用のウィッグは扱ってないの?」と、お客様に聞かれたのです。
正直、医療用ウィッグはその時点では私自身も見た事がなく何だか医療用ウィッグは特別な物…みたい
イメージを持っていた自分がいたり、病気の人と対峙する自分自身に不安もあったのです。
しかし余りにも医療用ウィッグを求める声の多さから私は
「だったらもう一度勉強して、しっかりと本腰をいれなきゃ!!」と、
気合を入れメーカーまで出向き一から勉強をし直したのでした。